• 練習・楽しみ方

”交響曲の父” ハイドン|有名曲10選を解説◎時代背景もご紹介!

Written by
2024.04.24
かしま あづみ
【執筆・監修】かしま あづみ

クラシックピアノをこよなく愛するフリーライター。子どものころピアノを習うも挫折。それでもピアノへの愛着は捨てられず、ピアノ曲を聞いたりコーラスを通してピアノと関わっています。一人でも楽しめるだけでなく、オーケストラの代役にもなるピアノの魅力を、記事を通し伝えたいと奮闘中。

古典派の作曲家で交響曲の父といわれるハイドンをご存じですか?
名前は聞いたことがあるけれど、どんな曲を作曲したのかすぐに思い浮かばない方も多いのではないでしょうか。
実はハイドンは、モーツァルトやベートーヴェンにも影響をあたえた偉大な作曲家なんです。
今回は、ハイドンの生涯や有名曲10選とその時代背景について解説していきます。
「あ、聞いたことある!」という曲も多くありますので、楽しんでいってくださいね。

〜古典派の作曲家〜ハイドンの生涯

〜古典派の作曲家〜ハイドンの生涯

ハイドンは、1732年3月31日にハンガリー王国領との国境にあるオーストリア公国のニーダーエスターライヒ州ローラウ村で生まれました。

1738年 音楽学校の叔父に音楽の才能を認められ、音楽や基本的な楽器の演奏を学ぶ
1740年 ウィーンのシュテファン大聖堂の聖歌隊員となり、ピアノ、バイオリンなどの演奏も学ぶ
1759年 ウィーンのモルツィン伯の楽長の職を得るも、ほどなく楽団は解散
1760年 マリア・アンナ・ケラーと結婚
1761年 ハンガリーの貴族、エステルハージ家の副楽長に就任し侯爵の要望に応じた作曲をする
1766年 ・楽長に昇進
・食事のBGMとしての曲、演奏会の協奏曲などの作曲を請け負う
1768~1773年 交響曲、弦楽四重奏曲、ミサ曲など多くを作曲
1780年 ハイドンの人気が高まり、エステルハージ家以外からの仕事依頼が増え、
ロシアからも作曲の依頼を受けるようになった
1781年 モーツァルトとの交流が始まる『ロシア四重奏曲』作曲
1786年 パリの出版社の依頼により「パリ交響曲集」を作曲
1790年 ・侯爵の死去によりオーケストラが解散し、名目だけの楽長となる
・イギリスの興行師ヨハン・ペーター・ザロモンに出会い、ロンドンでの演奏・作曲を依頼される
1791年 ・ロンドンの演奏会で大成功し、オックスフォード大学より名誉音楽博士号を授与される
・代替わりしたエステルハージ家より再び楽長として働くよう要請される
・ウィーンにてミサ曲や教会音楽の作曲も手がける
1792年 ベートーヴェンがウィーンを訪れ、ハイドンの弟子となる
1796~98年 オラトリオ『天地創造』作曲
1978~1800年 オラトリオ『四季』作曲
1804年 楽長職を引退
1809年 死去

交響曲の父と呼ばれる理由は?

交響曲の父と呼ばれる理由は?

ハイドンが交響曲の父と呼ばれる理由は、「交響曲の形式を確立した」からです。
具体的には以下の3つがあげられます。

  • ソナタ形式を確立
  • オーケストラの形を確立
  • 104曲の交響曲を作曲

長くエステルハージ家の楽長として勤めたハイドンは、侯爵の要望する音楽を作曲しました。
主に、食事の際にBGMとして流れる音楽の作曲を任されています。
市民革命前の貴族社会では、形式を重んじ、調和のとれた聴きやすい音楽が好まれ、そのなかで生まれた形式がソナタです。
ソナタは、主となる旋律の第一主題、第二主題を提示する提示部、主題を変化させる展開部、もう一度主題を再現する再現部の3つからなる形式で、ハイドンが確立したといわれています。
また、現在のオーケストラの形を作ったのもハイドンです。
楽長として長く勤め、作曲した交響曲も104曲と、モーツァルトやベートーヴェンに比べてはるかに多く作曲しています。

引用元:交響曲の父でありオーケストラの父でもあったハイドン

オススメ記事

【中学生でも分かる】交響曲って何?協奏曲との違いは?わかりやすく解説◎

交響曲って?クラシック音楽に興味をもったものの、いまいち交響曲が何かわからない人が多いのではないでしょうか。この記事では音大卒業の経験をもつ筆者が、交響曲について丁寧に解説します。

記事を見る

ハイドンの性格

ハイドンの性格

ハイドンは、優しく明るい、温厚な人柄だったといわれています。

一方、幼いころは、やんちゃな面もあったようです。
聖歌隊を解雇された理由は友達のかつらを切ってしまったことがきっかけといわれています。
大人になってからは、楽長として団員の気持ちをくんで雇い主の貴族と交渉する一方、貴族の依頼にきちんと応える几帳面さも持ち合わせていました。

モーツァルトとは親交を深め、モーツァルトの死後は遺された家族の面倒をみるなど、ハイドンの情が厚いところが「パパハイドン」といわれる理由かもしれませんね。

ハイドンが作曲する音楽の特徴

ハイドンが作曲する音楽の特徴

ハイドンの音楽の特徴は、美しく洗練されたメロディーが特徴です。
それまでの宗教と結びついたバロック音楽と違い、聴衆の求めるものを作曲してきたハイドンの曲には、革新性があり後の作曲家に多くの影響を与えました。

  • ソナタ形式を確立・発展させた音楽
  • 主題の発展と変奏の巧みさ
  • 明快なメロディー
  • 楽器間のコントラストを重視した曲作り

ハイドンは、提示部の2つの主題を展開部で旋律や調を変化させ、再現部でもう一度主題を再現するソナタ形式を確立しました。
聴衆を引き付けるためのしかけを曲中にいれることもあり、聴かせる曲作りに巧みな作曲家といえるでしょう。

古典派が生まれた時代背景とは

古典派が生まれた時代背景とは

ハイドンは、市民革命前後の時代に活躍しています。
当時は貴族の宮廷などで演奏されることが多く、それまでのキリスト教と結びついた音楽のような重厚なものより、調和のとれた音楽が好まれるようになりました。
ハイドンの明快なメロディーは、娯楽としての音楽という側面が大きくなっていたという時代背景がありました。

全部でいくつの曲を残したの?

全部でいくつの曲を残したの?

ハイドンは生涯で現存しているものだけでも100曲以上作曲をしました。

池辺晋一郎さんの著書『ハイドンの音符たち-池辺晋一郎の「新ハイドン考」』(音楽之友社)によると、分かっているだけでも膨大な曲数です。

  • 交響曲(104曲)
  • オペラ(人形劇含む)(24曲)
  • 弦楽四重奏曲(83曲)
  • 弦楽三重奏曲(21曲)
  • ソナタ(約52曲のクラヴィア・ソナタ)
  • オラトリオ・カンタータ(7曲)
  • ミサ曲(12曲)

ハイドンはエステルハージ家の楽長としての作曲はもちろんですが、人気のある音楽家だっただけに作品数も膨大なんですね。

有名曲を10選ご紹介

有名曲を10選ご紹介

それでは、ハイドンの有名な曲を10曲ご紹介しましょう。
今まで知らず知らずのうちに聴いていた曲のなかに、「これもハイドンの曲だったんだ!」という発見があるかもしれません。

1. 交響曲第45番嬰ヘ短調「告別」

〜解説と時代背景〜

ハイドンが楽長を勤めていた1772年、侯爵の夏の離宮エステルハーザでの滞在が長引いたことで、団員の休暇がとれず、不満がたまっていました。
ハイドンは交響曲で団員たちの気持ちを侯爵に伝えるため、この曲を書いたといわれています。

〜魅力〜

第4楽章に入ると次第に楽団員がステージから去っていきます。
最後はコンダクター一人になってしまう演出が魅力の曲です。
晴れ晴れとした顔で退場する団員、驚いて見送るコンダクターのうろたえ方など、まるで音楽劇を観ているようです。
ちなみに、この演奏の翌日、侯爵は団員たちに休暇を与えたというエピソードが残っています。

2. 十字架上のキリストの最後の7つの言葉

〜解説と時代背景〜

1786年、スペインのカディス大聖堂からの依頼で作曲しました。
聖金曜日の礼拝で、キリストの言葉を読んで瞑想する時間に演奏されるための音楽です。
キリストの7つの言葉に相応する7つのソナタに序章と地震の章を加えています。
管弦楽として1786年に作曲されましたが、その後、ハイドンによってオーケストラ版、弦楽四重奏曲版、ピアノ版、オラトリオ版が作曲されました。

〜魅力〜

瞑想のための曲としてキリストの最後の7つの言葉にふさわしい音楽表現で聴く人を信仰的瞑想へと誘います。
レクイエムのような序章、イエスの死の際に起こった地震を表現した地震の曲では、イエスの犠牲の尊さを感じさせます。
ハイドンの音楽的才能が感じられる傑作です。

3.交響曲第94番ト長調「驚愕」

〜解説と時代背景〜

ハイドンがエステルハージ侯爵の死去により、楽長を辞めて1回目のロンドン旅行で作曲したものです。
1791年に作曲、翌年の3月にロンドンにて初演されました。
穏やかな2楽章の主題が繰り返されたあとに、不意打ちのようにティンパニーをはじめとした演奏者が強く演奏するため、聴衆が驚いたことから「驚愕」と呼ばれるようになりました。

〜魅力〜

当時、演奏時に聴衆が居眠りしてしまうことを不快に思っていたハイドンが、聴衆を引き付けるためにこの曲を書いたといわれています。
主題ののどかさからは予測できない突然激しくなる演奏部分のギャップが魅力の交響曲です。

5. 交響曲第101番ニ長調「時計」

〜解説と時代背景〜

1793年から1794年にかけて作曲されました。
ハイドンは、2回ロンドンを訪れていますが、1793~1795年の2回目のロンドン訪問中の作品です。
1794年、ロンドンの演奏会で初演されました。
第二楽章の規則正しいリズムが時計をイメージさせることからこの愛称がつけられました。
ハイドンの交響曲のなかでも、最も成熟した交響曲の一つとしてあげられます。
ハイドンはロンドンでの成功により、エステルハージ家時代の20年分の収入を得たといわれています。

〜魅力〜

ハイドンの成熟期であり、傑作の1つといわれています。
時計の由来となった第二楽章は、穏やかなリズムとメロディーラインが時計の振り子をイメージさせます。
それ以外にも、第一楽章の華やかさ、第三楽章はメヌエット、第四楽章はハイドンの軽快で楽しい曲調が堪能できます。

4.交響曲第102番 変ロ長調

〜解説と時代背景〜

1794年にロンドンで発表されました。
ハイドンの名声が高まっていた時期の交響曲で「ロンドン交響曲」の一つです。
当時、職を失い年金暮らしとなったハイドンでしたが、興行師・ザロモンの依頼によって作曲された交響曲です。

〜魅力〜

全体を通じさまざまな表情を持つ曲で、第一楽章のソナタ形式の美しいメロディー、第二楽章はゆったりとした曲調、第三楽章は、明るくいきいきとした曲調、第四楽章は疾走感のあるメロディーとなっています。
ハイドンの明快で美しいメロディーを楽しめる曲です。

6. 交響曲第104番ニ長調「ロンドン」

〜解説と時代背景〜

ハイドン最後の交響曲です。
ロンドンセットといわれるロンドン交響曲の最後の曲。
フランス革命後、オーストリアの経済や暮らしも大きな変化を始めました。
最後の交響曲にふさわしい壮大な一曲となっています。

〜魅力〜

序章の重厚でドラマチックな始まりから美しいメロディーへと変化していく第一楽章。
第二章は弦楽器と木管楽器のやわらかな演奏が印象的です。
第三楽章のメヌエットは、優雅というより生き生きとした舞曲のような曲調になっています。
第四楽章は、「生気に満ちて、機知に富んで」という指示があるように、軽快なメロディーと、ホルンとチェロによって持続的に演奏されている主音が魅力的です。

7.弦楽四重奏曲第77番ハ長調「皇帝」

〜解説と時代背景〜

1797年に作曲された弦楽四重奏曲第77番「皇帝」は、現在のドイツ国歌の元となっています。
当時はフランス革命後、ナポレオンが現れ、オーストリアやドイツへの侵攻の危機に直面していました。
ハイドンはロンドンで国歌を歌う人々の忠誠心に触れて、オーストリア存続と誇りを取り戻すため国歌制定を提唱。
ハイドンが作曲した国歌『神よ、皇帝フランツを守り給え』の変奏曲として第二楽章に入っています。

〜魅力〜

ハイドンが書いた弦楽四重奏曲のなかで最高傑作といわれているのが、この『皇帝』です。
有名な第二楽章の「皇帝」の主題と変奏は、美しい旋律となっています。
私は、ハイドンのオーストリアへの祈りのようなものを感じてしまいます。
生き生きとした第一楽章、第三章は洗練されたメヌエットのメロディー、第四楽章では活気に満ちた未来を感じさせるような印象を持ちました。
全体を通してハイドンの祖国に対する想いを感じます。

8. 弦楽四重奏曲第67番ニ長調「ひばり」

〜解説と時代背景〜

1790年に作曲された弦楽四重奏曲第67番は、第一楽章のメロディーがひばりの鳴き声に聞こえることから、『ひばり』の愛称がついています。
この年、ハイドンはエステルハージ家の侯爵家の職を辞してウィーンに移住をしました。
しばらく年金暮らしをしていたハイドンですが、この辞職により、ロンドンへの道が開かれていきます。

〜魅力〜

第一楽章の低音から高音へ移り変わるメロディーは、地上からひばりが飛び立ってゆくさまを想像してしまいました。
ひばりの鳴きかわすような弦楽器どうしの掛け合いも素敵ですね。
第二楽章はのびやかで美しいメロディーですが、突然の変調や意外性のある和音進行などハイドンらしい魅力を感じられます。
第三楽章は、活気のある元気なメヌエットで、人気があります。

9. オラトリオ「四季」

〜解説と時代背景〜

文字通り四季をテーマにしたオラトリオ。
台本はゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵。
男爵の創作ではなく、イギリスの詩人であったジェームス・トムソンの叙事詩「四季」をもとに台本を書きました。
完成まで台本を書いた男爵とは、創作過程で意見がぶつかることもあったようですが、ハイドンは1798年4月頃から作曲に着手し、1800年までに全曲を完成させています。

〜魅力〜

全39曲からなり、「春」「夏」「秋」「冬」をテーマにしています。
弦楽器や金管楽器、木管楽器を巧みに組み合わせて四季の移り変わりを表現しています。
曲全体に貫かれている自然や創造主に対する感謝が伝わる感動的な曲です。

10. オラトリオ「天地創造」

〜解説と時代背景〜

1796年から1798年にかけて作曲したオラトリオ『天地創造』

旧約聖書とミルトンの『失楽園』をもとに、ゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵がドイツ語訳をした台本を元としています。
第1部では、天地創造の第1~4日目、第2部は第5日目と第6日目、第3部では、アダムとエヴァの姿が描かれている壮大なオラトリオとなっています。

〜魅力〜

天地創造というタイトル通り、壮大な音楽作品です。
混声四部合唱と独唱が交錯することで神秘的な雰囲気を出しています。
楽長としてオーケストラの編成などにも長く携わってきたハイドンは、管弦楽法にも巧みだったのでしょう。
この壮大なテーマにふさわしい豊かで多彩な音楽となっています。

ハイドンの最高傑作は?

ハイドンの最高傑作は?

ハイドンの最高傑作についてはさまざまな意見がありますが、主に次の3つについて解説します。

  • 十字架上のキリストの最後の7つの言葉
  • 交響曲第104番ニ長調『ロンドン』
  • オラトリオ『天地創造』

十字架上のキリストの最後の7つの言葉はオーケストラ版、弦楽四重奏版、ピアノ版、オラトリオ版とさまざまに編曲されています。
ハイドン自身も最高傑作と認めています。

交響曲第104番『ロンドン』は、傑作といわれる『ロンドン交響曲集』に収められているもののなかでも、傑作といわれています。
ハイドンの最後の交響曲といわれるにふさわしい1曲です。

オラトリオ『天地創造』は、テーマの壮大さを余すところなく音楽に表現した曲となっています。
ハイドンの音楽的才能と信仰心が感じられる傑作です。

【番外編】ハイドンにまつわるエピソード

【番外編】ハイドンにまつわるエピソード

ここで、ハイドンにまつわるエピソードを紹介しましょう。

聖歌隊でのエピソード

聖歌隊のときは建築中の足場に乗るなど、危険なことをしたため、女帝マリア・テレジアに叱られたというエピソードが残っています。
また、聖歌隊を辞めさせられた理由として、同じ聖歌隊の子のかつらを切ってしまったことがきっかけといわれています。

モーツァルトとのエピソード

モーツァルトと出会ってからはお互いをリスペクトしあう仲で、ハイドンはモーツァルトの才能を認め、絶賛しています。
また、モーツァルトはハイドンの曲に感動して、6曲で構成された「弦楽四重奏曲 ハイドンセット」を献呈しています。
二人の交流はモーツァルトの死後も続き、ハイドンはモーツァルトの遺児の音楽留学の世話までしました。

オススメ記事

名作曲家|モーツァルトの難易度一覧表◎発表会にもおすすめ!

【モーツァルトの曲21選】この記事では音大卒業経験をもつ筆者が、自分のレベルに適したモーツァルトのピアノ曲を知りたい人に向けて、難易度別に楽曲解説をしています。

記事を見る

ハイドンは聴衆を引き付ける作曲のプロ

ハイドンは聴衆を引き付ける作曲のプロ

ハイドンが活躍した時代は、フランス革命の前後の時代です。
フランス革命前の華やかな貴族のための音楽を作り続け、宮廷音楽家として活動した時期が長かったため、聴衆を引き付ける曲作りのプロだったのではと感じます。
一方で、音楽家として譲れないものを持ちながら、仕事を投げ出さない几帳面さも持ち合わせている魅力的な人だったんですね。

聴きなじみやすいメロディーのなかに、さまざまなしかけをして聴く人を楽しませたハイドン。
改めて聴いてみるといろいろな発見ができるかもしれません。

オススメ記事

【ベートーベン 交響曲一覧表】1曲ずつ楽曲解説・作曲背景も合わせてご紹介◎

ベートーベンというと、第九や「運命」、のだめカンタービレで有名になった7番の他にも多くの名曲があります。今回は、ベートーベンの交響曲をすべて解説、交響曲の中で名盤とされている曲を取り出してみました。

記事を見る

オススメ記事

【チャイコフスキーの名曲10選】生涯を年表で解説!ぷちエピソードも◎

チャイコフスキーの名曲は?生涯についても解説します!順風満帆な音楽人生を送ったのだと思いきや、実は苦労が絶えない作曲家でした。筆者おすすめの隠れた名曲もご紹介しますので、最後までご覧いただけると嬉しいです。

記事を見る

オススメ記事

【保存版】美しいラフマニノフの名曲を15選ご紹介◎隠れた名曲も!

偉大な作曲家【ラフマニノフ】が送った生涯、音楽的特徴や名曲を詳しく解説していきます!ラフマニノフの人物像を知ったうえで名曲を聴くと、曲に込められた思いの理解が深まり、より興味が湧くでしょう。ぜひ参考にしてくださいね。

記事を見る

この記事を友達にシェアしよう!

関連タグ

Category