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【保存版】美しいラフマニノフの名曲を15選ご紹介◎隠れた名曲も!

Written by
2024.04.09
うらやまはるく
【執筆・監修】うらやまはるく

7歳からピアノ。13歳から打楽器。他にもテナーサックスや沖縄三線、合唱に挑戦し幅広く取り組む。現在は飲食店での接客調理、WEBライターや打楽器指導を行っている。 尚美ミュージックカレッジ専門学校打楽器専攻卒業。大阪芸術大学通信教育部音楽学科卒業。中学校・高等学校教諭一種免許(音楽)取得。

「ラフマニノフの名曲にはどんな曲がある?」

「ラフマニノフが作曲した名曲の特徴は?」

2023年に生誕150周年を迎えたラフマニノフ、名曲を耳にすることが多く、ラフマニノフに興味をもった人が多いのではないでしょうか。

この記事では音楽大学卒業の経験をもつ筆者が、ラフマニノフに興味をもった人に向けてラフマニノフが作曲した15曲を紹介します。

  • ラフマニノフの生涯
  • ラフマニノフの音楽5つの特徴
  • ラフマニノフの名曲12選
  • ラフマニノフの隠れた名曲3選
  • 【番外編】ラフマニノフにまつわるエピソード

ラフマニノフの人物像を知ったうえで名曲を聴くと、名曲に込められた思いへの理解が深まり、より興味が湧くでしょう。

ラフマニノフの生涯

セルゲイ・ラフマニノフは、ロシアの作曲家・ピアニスト・指揮者として多彩な才能をもっている人物です。
特に、ピアノ作品や交響曲は広く親しまれています。
ここではラフマニノフの名曲を深く理解するうえで重要な「ラフマニノフの生涯」について解説します。

ラフマニノフの人物像や生涯を知ると、どのような背景で作曲したのかが想像しやすくなり、より名曲を深く理解できるでしょう。

ラフマニノフってどんな人だったの?

ラフマニノフは内向的な性格でしたが、真摯に努力する作曲家です。
祖国ロシアの情勢悪化により亡命した際にも、ピアニストや作曲家としての地位を確立するために努力し、成功を収めています。
また、ラフマニノフは身長が2m近く、手は13度(ドからオクターブ上のラ)届き、柔軟な関節を持っていました。
身体的な強みを活かし、さまざまな技巧を難なくこなし、演奏技術は広く賞賛されています。
しかし、交響曲1番の不評や母国ロシアの不安定な情勢、アメリカに移住してからは忙しさが増し、常に精神的疲労に悩まされていたといわれています。

ラフマニノフの生涯年表

ラフマニノフは1873〜1943年まで70歳の生涯でした。
ここではラフマニノフの生涯を年表にまとめています。

年代 ラフマニノフの生涯 世界と日本の動き
1873年
4月1日にロシアの由緒ある貴族の家系に誕生
最初は母親、その後女性ピアニスト
アンナ・オルナーツカヤにピアノを学ぶ
1868年に
明治維新が起こり、
国内が混乱状態
1882年 サンクトペテルブルク音楽院へ入学 1882年
三国同盟成立
1885年 モスクワへ行き、モスクワ音楽院にてピアノと
作曲を学ぶ
1889年
パリ万博
1889年
大日本帝国憲法発布
1891年 モスクワ音楽院ピアノ科を卒業
1892年 モスクワ音楽院作曲科を卒業
前奏曲嬰ハ短調≪鐘≫を作曲
1893年 チャイコフスキーの死を悼んでピアノ三重奏曲
≪悲しみの三重奏曲(偉大な芸術家の想い出)≫
op.9を作曲
モスクワでピアノ教師になり、傍らロシア各地を
演奏旅行し、知名度を上げる
1894年~
日清戦争
1895年 交響曲第1番の初演が不評で、一時は
指揮者を目指す
不評が原因で、精神が不安定になる
1899年 ロンドンのフィルハーモニック協会に招かれ、
自作を指揮、ピアノ演奏をして好評を得る
1901年 ピアノ協奏曲第2番が完成し、初演で
大成功を納める
1903年
ライト兄弟
世界初飛行
1904年
ピアノ協奏曲第2番でグリンカ賞を受賞
ボリジョイ劇場の指揮者に就任
1904年~
日露戦争
1906年
ドレスデンに行き、交響曲第2番や
ピアノ・ソナタ第1番を作曲
1908年 交響曲第2番は二度目のグリンカ賞受賞
1909年
アメリカへ行き、演奏旅行を行う
帰国後はピアニストと指揮者として
演奏旅行をしながら作曲活動を行った
1914年~
第一次世界大戦
1917年
母国ロシアでの革命が起きる
ストックホルムやコペンハーゲンを経て、
アメリカへ行き、以後演奏活動を中心に行った
1923年
関東大震災
1923年
ソビエト社会主義
連邦成立
1926年
作曲活動を再開し「ピアノ協奏曲第4番」
「ピアノと管弦楽のためのパガニーニの
主題による狂詩曲」
「交響曲第3番」などを作曲
1931年
満州事変
晩年 多忙な演奏活動によって体調を崩し、祖国への
復帰も叶わず、1943年に亡くなった
死因は悪性黒色腫で、悪性度の高い皮膚がんの一種
1939年~
第二次世界大戦
1941年~
太平洋戦争

ラフマニノフの音楽5つの特徴

ラフマニノフは、ロマン派音楽の代表的な作曲家の1人として有名です。
ロマン派とは個人の考えや感情などを自由に表現した、標題音楽が人気となる時代です。
ここではラフマニノフが作曲した音楽の特徴を5つ解説します。

  • メロディの豊かさと感情豊かな表現
  • 豊かなハーモニーと和声
  • 技巧的なピアノ曲
  • 重厚な管弦楽法
  • ロシア民謡の影響

ラフマニノフの音楽の特徴を知ると、どのような作風の作曲家なのかがわかり、より名曲が楽しめるでしょう。

メロディの豊かさと感情豊かな表現

ラフマニノフの音楽は、メロディの豊かさと感情豊かな表現が特徴的です。
ラフマニノフの楽曲は一見重々しい印象をもちますが、美しいメロディが並び、聴き手の感情に訴える強さを兼ね備えています。

豊かなハーモニーと和声

ラフマニノフの音楽は、複雑で美しいハーモニーを用いた作品が多いです。
ラフマニノフは洗練された和声感覚をもっており、ピアノ曲や交響曲では重厚で力強い和声が際立っています。

技巧的なピアノ曲

ラフマニノフは自身もピアニストであったことから、多くのピアノ曲を作曲しました。
楽曲は全体的に大きな跳躍や速いパッセージが多く、技巧的なのが特徴的です。
ラフマニノフは手を広げると13度(ドからオクターブ上のラ)まで届いたため難なく弾けましたが、平均的な手の大きさの人からすると弾くのが難しいでしょう。

重厚な管弦楽

ラフマニノフが作曲した交響曲や交響詩では、管弦楽の重厚さが特徴的です。
特に交響詩「死の島」では管弦楽の重厚さが感じられるでしょう。

ロシア民謡の影響

ラフマニノフはロシア生まれのため、ロシアの伝統的な音楽や民謡などに深い影響を受けています。
ラフマニノフの音楽には、ロシア音楽の要素が度々用いられ「交響的舞曲」ではロシア正教会の聖歌が引用されています。

ラフマニノフの名曲12選

ラフマニノフは生涯で交響曲や交響詩、ピアノ曲、歌曲など幅広く作曲しました。
ここではラフマニノフが作曲した楽曲の中から名曲12曲に絞って解説します。

  • ピアノ協奏曲第2番ハ短調 第1楽章
  • 交響曲第2番 第3楽章
  • 前奏曲嬰ハ短調作品3-2「鐘」
  • ピアノ協奏曲第3番 第1楽章
  • 10の前奏曲作品23 第5番
  • ヴォカリーズ
  • ピアノ協奏曲第1番 第1楽章
  • 交響的舞曲
  • パガニーニの主題による狂詩曲 第18変奏
  • ピアノ・ソナタ第2番変ロ長調
  • 交響詩「死の鳥」
  • 楽興の時 第4曲 ホ短調

ラフマニノフの名曲を知ると、どのような特徴をもった楽曲なのかを理解したうえで聴けるので、より深く音楽を楽しめるでしょう。

※以降、ピアノ独奏曲以外の名曲は難易度と楽譜を記載していません。

ピアノ協奏曲第2番ハ短調 第1楽章

難易度:★★★

ピアノ協奏曲第2番はドラマ「のだめカンタービレ」で千秋真一が大きな一歩を歩みだす際に弾いた楽曲なので、聴いたことがある人も多いのではないでしょうか。
楽曲は、重々しい独奏ピアノの静かな和音から始まります。
続いて分散和音、アルペッジョ、管弦楽の音が迫ってくるような第1主題が印象的です。
第2主題は一変してセンチメンタルな雰囲気を感じます。
主題がさまざまな変奏を経て発展し、オーケストラとピアノが対話していくのは聴きどころでしょう。
最後は一気に駆け上がり、荘厳な響きが残るかたちで終わります。

交響曲第2番 第3楽章

難易度:★★★

交響曲第2番は1901年に完成し、自ら指揮をし、初演を大成功に収めました。
ラフマニノフは交響曲第1番での不評が長年トラウマになっており、苦悩しながら書き上げたといわれています。
なかでも第3楽章は聴きどころ満載です。
クラリネットのソロが終わると、第1楽章のテーマが再び出現します。
第3楽章の後半には第1楽章と第3楽章のメロディが一緒に演奏されるのが印象的です。
全体的に流れるような壮大な曲調で、ラフマニノフらしい感情豊かな楽曲に作られています。

前奏曲嬰ハ短調作品3-2「鐘」

難易度:★★★

前奏曲嬰ハ短調作品3-2「鐘」は1892年に作曲された楽曲です。
ラフマニノフがモスクワ音楽院を卒業してすぐに作曲され、ラフマニノフのピアノ独奏作品のなかでは、最も知名度が高い楽曲といわれています。
楽曲全体は力強い印象で、情熱的で激しい表現が特徴です。
しかし、同時に美しいメロディも奏でられるので、力強さの中に美しさも兼ね備えています。
ピアノ演奏においては、作曲したラフマニノフは手が大きかったピアニストとして有名なので、ラフマニノフにとっては余裕だったのかもしれません。
現代の私たちにとっては急速な音符の動きや広い跳躍など、演奏者に高度な技巧が要求される箇所が多いと感じるでしょう。

ピアノ協奏曲第3番 第1楽章

難易度:★★★

ピアノ協奏曲第3番は1909年に作曲された楽曲で、アメリカの演奏旅行で初演されたといわれています。
全3楽章で構成され、全ての楽章において技巧的な演奏が求められます。
ドラマチックな展開や表現豊かな旋律、高度な技巧によりラフマニノフらしさが詰まった作品です。
なかでも第1楽章は曲全体の美しさが目立ちつつ、ラフマニノフの独特でノスタルジアな雰囲気が感じられます。
ピアノ協奏曲第3番は、ラフマニノフの手の大きさ基準で作曲されているため、平均的な手の大きさのピアニストにとっては弾きこなすのに苦労するでしょう。

10の前奏曲作品23 第5番

難易度:★★★

10の前奏曲作品23は第5番は1901年に作曲され、他は1902~1903年にかけて作曲されたといわれています。
10の前奏曲はそれぞれ調が異なり、さまざまな曲調で書かれています。
特に、最初に作曲された第5番は前奏曲の中で最も知られている楽曲の1つです。
冒頭から勇ましさが表現され、躍動感に溢れた曲調です。
中間部は美しい旋律と流れるような曲調でロマンチックな雰囲気があります。
中間部の後は最初の主題が再現され、力強さと高揚感が感じられます。
ピアノ演奏ではリズミカルなフレーズや複雑な指使いが多いため、テンポを保ちながら正確に弾くのが重要です。

ヴォカリーズ

ヴォカリーズは諸説あり、1910年代に作曲された歌曲です。
ヴォカリーズは曲名のとおり、歌詞を伴わずに母音だけで歌う歌唱法で歌われています。
初演が好評だったため、オーケストラ版やピアノ版などにも編曲されています。
ヴォカリーズは歌唱の美しさを押し出した作品です。
しかし歌詞がないため、歌唱自体が感情や表現を伝える主な手段です。
繊細で広がりのある旋律などが多様されるため、歌唱者もしくは主体の楽器には高度な技巧が求められます。
美しい旋律と和声、歌唱者の感情表現が聴く人を魅了する作品です。

ピアノ協奏曲第1番 第1楽章

難易度:★★★

ピアノ協奏曲第1番は、ラフマニノフがモスクワ音楽院に通っていた1890〜1891年にかけて作曲された楽曲です。
初演では不評で、以降ラフマニノフのトラウマになったともいわれています。
全3楽章で構成され、当時ラフマニノフのスタイルである、ロマンティックで力強いメロディや和声が特徴的です。
特に第1楽章では力強く重々しい雰囲気で、ラフマニノフらしさが感じられます。
ピアノの難易度は非常に高いと言えるような、テクニカルな要素が多く含まれています。
いかにラフマニノフ自身が優れたピアニストであったか、感じられるでしょう。

※ピアノ協奏曲第1番 第1楽章の楽譜販売サイトはなかったため、無記載です。

交響的舞曲

交響的舞曲は1940年に作曲され、ラフマニノフ最後の作品といわれています。
当初は「幻想的舞曲」として、各楽章に標題がつけられる予定だったという逸話もあります。
全3楽章で構成され、途中にはロシア正教会の聖歌が引用され、ロシア音楽の要素が含まれているのが特徴的です。
第1楽章は穏やかで静かに始まり、第2楽章では「ワルツのテンポで」と題されています。
第3楽章はクライマックスへの進行が力強く、情熱を感じる曲調です。
終盤には打楽器が曲全体に勢いをもたせ、迫力を感じられるでしょう。

パガニーニの主題による狂詩曲 第18変奏

難易度:★★★

パガニーニの主題による変奏曲は1934年に作曲され、24の変奏曲からなる狂詩曲です。
各変奏はさまざまな性格をもち、美しい旋律を重視したものやピアノの演奏技巧を求めるものなど多様です。
特に第18変奏はCMなどでも使用されたので、聴いたことがある人も多いのではないでしょうか。
第18変奏は「Andante cantabile」と題され、ゆっくりとした速度で美しい旋律が特徴的です。
美しい旋律は印象的で覚えやすいので、聴き手を引き込みます。
また、美しい旋律だけでなく、難解なフレーズやアルペッジョも含まれているため、ピアノの難易度は高く感じられるでしょう。

ピアノ・ソナタ第2番変ロ長調

ピアノ・ソナタ第2番変ロ長調は、1913年に作曲されたピアノ独奏曲です。
ソナタ形式、3つの楽章で構成されています。
1931年にはラフマニノフ自身によって改訂が行われ、楽曲の演奏時間が大幅にカットされ、声部が動く部分が修正されたといわれています。
ピアノ・ソナタ第2番変ロ長調は、情熱的で劇的な流れが特徴的です。
ラフマニノフの作った旋律と和声が複雑に絡み合っており、より感情豊かに聴こえます。
ソナタの最終楽章では、エネルギッシュで情熱的な表現が印象的です。
ピアノ演奏の難易度は非常に高いです。
速いフレーズや大きな跳躍、力強さが必要で、演奏者の高度なテクニックが求められます。

交響詩「死の島」

交響詩「死の島」は1909年に作曲されました。
ラフマニノフがドイツを訪れた際に、画家ベックリンの絵画「死の島」に出会い、衝撃を受け、交響詩にしたといわれています。
約20分の楽曲は死者が「死」に向かい「生」を感じ、最後は「死」に飲み込まれていくという物語です。
途中「死」を表現するために、グレゴリオ聖歌「怒りの日」のメロディも用いられています。
楽曲全体が8分の5拍子という不安定な拍子で作られているのも、物語の中の不穏な雰囲気と不安定な感情を表現しているといえるでしょう。

楽興の時 第4曲 ホ短調

楽興の時 第4曲ホ短調は1896年に作曲したピアノ独奏曲です。
楽興の時は作品集で、6曲から構成されています。
第4番は、次々と波が押し寄せてくる中を走り抜けるような曲調です。
同時に情熱も感じられます。
テンポが早い中で、細かな音符が並ぶので演奏者の技量が求められるでしょう。

ラフマニノフの隠れた名曲3選

ラフマニノフが作曲した楽曲は多く存在します。
ここではラフマニノフが作曲した楽曲の中で、隠れた名曲といわれる楽曲を3曲解説します。

  • ピアノ独奏曲「コレルリの主題による変奏曲」ニ短調作品42
  • 歌劇「アレコ」
  • 舟歌(バルカローレ作品10第3番)

ラフマニノフの隠れた名曲を知ると、よりラフマニノフの楽曲に詳しくなり、ラフマニノフの良さを感じられるでしょう。

ピアノ独奏曲「コレルリの主題による変奏曲」ニ短調作品42

難易度:★★★

ピアノ独奏曲「コレルリの主題による変奏曲」ニ短調作品42は、ラフマニノフが亡命後1931年に作曲された楽曲で、主題と20の変奏から構成されています。
ラフマニノフはアルカンジェロ・コレッリ作曲のヴァイオリン、ヴィオローネ、チェンバロのための12のソナタ作品5の終曲である変奏曲「ラ・フォリア」を主題に用いました。
しかし、コレルリはイベリア半島の舞曲「フォリア」を元にしているそうです。
楽曲は哀愁を感じ、ゆったりとした厳かな雰囲気の曲調です。
ラフマニノフが祖国から亡命せざるを得なかった背景を感じながら聴くと、悲しく切ない気分が伝わってくるでしょう。

歌劇「アレコ」序奏

歌劇「アレコ」は1892年に作曲された歌劇です。
モスクワ音楽院での卒業作品であり、高い評価を得ました。
歌劇「アレコ」は19世紀、帝政ロシアの末期が舞台です。
青年貴族アレコは貴族としての生活に嫌気がさして旅に出ます。
歌劇「アレコ」ではアレコが旅中で出会ったジプシーの娘と恋に落ち、ジプシーたちと暮らすものの裏切られ、悲劇的な結末が描かれています。

舟歌(バルカローレ作品10第3番)

難易度:★★

舟歌は1892年に作曲された、ピアノ独奏曲です。
空想の世界にいるようなメロディと安定したリズムで進み、後半は情熱的な曲想になり、最後は静かに終わります。
あまり知られていませんが、ロマンティックな曲調が魅力的な楽曲です。

【番外編】ラフマニノフにまつわるエピソード

ラフマニノフにまつわるエピソードとして、アレクサンドル・スクリャービンの存在が挙げられます。
ラフマニノフとスクリャービンはモスクワ音楽院で出会い、切磋琢磨した良きライバルです。
卒業試験では1位ラフマニノフ、2位スクリャービンで表彰されるほどです。
卒業後も2人の関係性は続き、お互いに現代に名を残す作曲家となりました。
スクリャービンは若くして亡くなりましたが、ラフマニノフは自身のコンサートプログラムにスクリャービンの楽曲を取り入れていたといわれています。
ラフマニノフとスクリャービンの関係性はライバルでありながら、強固な友情で結ばれていたといえるでしょう。

まとめ

この記事ではラフマニノフに興味をもった人に向けて、ラフマニノフの名曲やエピソードを解説してきました。

  • ピアノ協奏曲第2番ハ短調 第1楽章
  • 交響曲第2番 第3楽章
  • 前奏曲嬰ハ短調作品3-2「鐘」
  • ピアノ協奏曲第3番 第1楽章
  • 10の前奏曲作品23 第5番
  • ヴォカリーズ
  • ピアノ協奏曲第1番 第1楽章
  • 交響的舞曲
  • パガニーニの主題による狂詩曲 第18変奏
  • ピアノ・ソナタ第2番変ロ長調
  • 交響詩「死の鳥」
  • 楽興の時 第4曲 ホ短調
  • ピアノ独奏曲「コレルリの主題による変奏曲」ニ短調作品42
  • 歌劇「アレコ」
  • 舟歌(バルカローレ作品10第3番)

ラフマニノフが作曲した背景や楽曲の特徴を知った上で、名曲を聴いてみましょう!

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