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【追悼】マウリツィオ・ポリーニとはどんな人だったの?代表作を3選ご紹介

Written by
2024.04.24
山崎由芽
【執筆・監修】山崎由芽

3歳から12歳までピアノ教室に通っていました。その後は中学・高校でコンクールや行事で伴奏をしていました。現在は趣味で弾き語りや基礎練習を続けて、兄弟に教えています。 音楽の楽しさと壁の乗り越え方を、経験をもとに伝えていきます。

世界最高峰とも言われていたマウリツィオ・ポリーニ、実は2024年に入ってから亡くなってしまったんです。
多くの国で演奏を披露し、観客や批評家を熱狂させてきました。

今回は、マウリツィオ・ポリーニの訃報の概要から、ピアノ人生や演奏スタイルなどをお話しします。
実績だけでなく、どんな人柄だったのかもお話ししていくので、マウリツィオ・ポリーニのファンなら知っておきたいです。

ポリーニの訃報に寄せて

マウリツィオ・ポリーニは2024年3月23日の朝、イタリア北部ミラノにある自宅で死亡しました。
地元メディアによると死因は明らかになっておらず、2023年頃から体調を崩していた事のみ分かっています。

マウリツィオ・ポリーニが亡くなる前の容体

近年、特に2023年は体調不良で公演をキャンセルすることがありました。
1958年にデビューしてからミラノのスカラ座で行った公演の回数は、168回です。
スカラ座は「現代における偉大な音楽家の一人で、50年以上にわたってスカラ座の芸術活動の根幹をなしてきた」と話しました。

ちなみに、日本での公演は2018年が最後です。
公演を待ち望んでいた人からは、悲しみの声が上がっています。

マウリツィオ・ポリーニの生涯とは?

マウリツィオ・ポリーニの生涯、特にピアノ人生はどのようなものだったのでしょうか。
人柄やキャリアについて、振り返ります。

ピアノ人生の始まり

マウリツィオ・ポリーニは、1942年1月5日にイタリアのミラノで生まれました。
父はイタリア合理主義を代表する建築家で、母は歌とピアノを演奏しています。
兄は彫刻家や陶芸家、詩人です。
「創り出す職業」や「表現する職業」の家族に囲まれ、自然とピアノの道を選んだのでしょう。
インタビューでは「芸術に触れ合いながら育ち、古い作品と現代の作品が生活の一部として共存していました。」と語っています。
当たり前のようにあった環境に、ピアノを始める前から感性や音楽の耳は磨かれていたのです。

ピアノは4歳から始め、8歳でヴェルディ音楽院に入学します。
入学後に師事したのはカルロ・ロンバルディやカルロ・ガッディ、カルロ・ロナーティ、アデリーノ・ヴェッキオなどです。
10歳になる前にはコンサートを開き、14歳でショパンのエチュードを演奏しています。
1960年のショパン国際ピアノコンクールにて、審査委員長が発した「ここにいる審査員の誰よりも上手く弾く」という言葉は有名です。
言葉だけでなく、判定も審査員全員、まさに「満場一致」で優勝したのです。
当時、最年少で優勝したという実績とこの言葉によって、一気に世界へ名前を広めました。
この言葉を発した審査委員長は、ショパン弾きとして当時最も優れていたアルトゥール・ルービンシュタインです。
彼のお墨付きで世界へ羽ばたくということは、成功が確定したようなものです。

約8年間の休止

その後、彼は国際的な評価を得たにもかかわらず、「自分はまだ未熟だ」と感じて勉強のために休止を選んだのです。
インタビューでは「勉強してレパートリーをもっと知り、ベートーヴェンやシューベルト、ブラームスの音楽を演奏したかった」と話したとあります。
当時最年少で優勝したというのは、彼にとって小テストのようなもので、ここからさらに技術を磨く必要があると感じていました。
謙虚さとはまた違う、純粋に音楽を追求したいという勤勉さが見て取れます。
自惚れずに突き詰めるという一面が、国際的な評価にも繋がったのではないでしょうか。

復帰後は現代音楽を積極的に演奏

8年間の休止を終え、復帰と同時に開催したのは初のアメリカ・ツアーです。
小さなコンサートはしていたようですが、大々的な演奏を待ち望む世間からするとかなり長いように感じます。
ちなみに、国際的な賞を受賞した人間が、小さなコンサートしか行わないのは異例のことでした。

復帰後は積極的にツアーや公演を開催し、世界中で聴衆を楽しませてきました。
中でも積極的に演奏したのはストラヴィンスキーやブーレーズ、リゲティ、ベルク、シュトックハウゼンです。
複雑な構造や音響を明確に表現することで、現代音楽の普及に大きく貢献しました。

主な演奏歴は以下の通りです。

  • 1964年 ストラヴィンスキーのピアノ協奏曲、三つの小品
  • 1972年 ブーレーズのピアノソナタ第二
  • 1985年 リゲティのピアノ曲集Musica ricercataを録音
  • 2001年 ベルクのピアノソナタを録音

作曲家との親交

マウリツィオ・ポリーニは、世界中の作曲家と親交があります。
演奏家として作曲家に提案を行い、より良い方向へと導いていたのです。
そうして作られた曲を自ら演奏し、多くの若手演奏家に影響を与えます。

日本では武満徹や三善晃、細川俊夫などと親交があり、日本の現代音楽にも関心を持っていました。
例えば武満徹の「雨の樹素描」は、マウリツィオ・ポリーニのために作られた曲です。
自分のために作曲してくれるほどの、信頼や友情を築いていたのです。
他にも能楽や歌舞伎、茶道、書道などの伝統芸能をはじめ、日本の美意識に深く感銘を受けたと話しています。
日本文学では川端康成や三島由紀夫などの作品を読んでいたそうです。
ここまでくると気が付く人もいると思いますが、マウリツィオ・ポリーニは日本を「第二の故郷だ」と話してくれるほどの親日派でした。

そして2017年には75歳を記念して世界ツアーを開催しています。
この時点では、名盤や各国の公演に足を運ぶほどのファンから「そろそろ衰えが隠し切れない」と言われていたのです。
その後2023年から体調を崩し、コンサートの休止が度々起こるようになりました。

ここがすごい!ポリーニのキャリアのハイライト

マウリツィオ・ポリーニは4歳でピアノを始め、バロック時代から現代曲までの幅広いレパートリーで聴衆を楽しませてきました。
そんなマウリツィオ・ポリーニの実績を振り返りましょう。

受賞歴

大まかな受賞歴から振り返ります。

1957年 ジュネーブ国際コンクール男性部門 2位
1958年 ジュネーブ国際コンクール男性部門 2位(1位なし)
1959年 ポッツォーリ国際ピアノコンクール 優勝
1960年 ショパン国際ピアノコンクール 優勝(当時最年少)
1979年 グラミー賞Best Classical Performance‐instrumental Soloist or Soloisuts
(最優秀クラシック・パフォーマンス賞)
1987年 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉賞
1995年 ザルツブルク州ゴールド勲章
1996年 エルンスト・フォン・ジーメンス賞
1999年 アルトゥール・ルービンシュタイン賞
2000年 ・アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ国際賞
・Cavaliere di gran croce dell'ordine al merito della Repubblica d’or
(イタリア共和国功労勲章の大十騎士)
2001年 Diapason d’or
(最優秀録音賞)
2004年 Medaglia d’oro ai benemeriti della cultura e dell’arte
(メダリア・アイ・ベネメリティ・デッラ・クルトゥーラ・エ・デッラ・アルテ)
2006年 ・ドイツのエコー賞
・フランスのショック賞
・ヴィクトワール・ド・ラ・ムジーク賞
・ディアパゾン賞
2007年 ・グラミー賞最優秀器楽ソロ奏者部門
・イタリアのディスコ・ドーロ賞
2010年 高松宮殿下記念世界文化賞
2012年 Gramophone 殿堂入り

高松宮殿下記念世界文化賞は、絵画、彫刻、建築、音楽、演劇・映像の5部門で、各1人ずつしか選ばれません。
つまり、音楽部門で受賞したマウリツィオ・ポリーニは、言葉通り「世界最高峰のピアニスト」と言うことになります。

また2000年に受賞した「イタリア共和国功労勲章の大十騎士」は、イタリアの授与する最高位の賞です。

経歴

マウリツィオ・ポリーニが携わった公演やプロジェクトを振り返ります。

1968年 国際ツアーでピアニスト復帰
1971年 ドイツのグラモフォンで録音作品の発売を開始
1994年 ウンベルト・ミケーリ国際ピアノコンクールの審査委員長に就任
1995年 ・ピエール・ブーレーズ・フェスティバルのオープニング
・ザルツブルク音楽祭にてポリーニ・プロジェクトを実施

2023年6月のピアノリサイタルでは、アンコールまでしっかりこなし、観客を熱狂させました。
そして2023年10月のリサイタルが、最後の舞台となったのです。
ちなみに日本で公演をしたのは、2018年が最後となります。
体調不良と新型コロナの影響で、近くで演奏を楽しめないまま訃報を知った人も多いのではないでしょうか。

マウリツィオ・ポリーニの演奏スタイル

機械かと思うほどに正確な演奏をするため、批評家や聴衆からは「ミスター・パーフェクト」と呼ばれています。
1990年前の演奏では「冷徹」や「技術的に最高レベル」と評価されていましたが、1990年以降では「詩情に満ちるのを目指しているよう」「演奏の傷は気にせずに大胆」と変化がありました。
どちらも評価は高いですが、あまりにも印象が変わったため戸惑う人も多かったようです。

ポリーニのテクニックと表現力

マウリツィオ・ポリーニは「ものすごく感情的で熱い演奏」ではありません。
とにかく正確で1音たりともミスがない、まさに完璧なのです。
フレーズやタッチ、リズム、音色など全てが完璧で、「どんなに長い曲でも体感は半分もなかった」という声も出ています。
ショパン国際ピアノコンクールで優勝した後、休止してピアノの勉強に集中したこともあり、他の誰にも真似できない完成度を誇っています。

また、マウリツィオ・ポリーニのピアノは、硬質なのも特徴です。
楽曲の深い部分まで理解し、作曲家の想いをそのまま届けられるテクニックを持っています。
曲本来の魅力を最大限に引き出せるという部分では、世界最高峰のピアニストという異名に納得です。

聞くべし!ポリーニの代表作3選!

マウリツィオ・ポリーニの聞くべき代表作を3曲紹介します。
細部まで一切狂うことのない演奏を、堪能してみてください。

「夜想曲集」 ショパン

ショパンの夜想曲集は、2006年にエコー賞、ショク賞、ヴィクトワール・ド・ラ・ムジーク賞、ディアパゾン賞を受賞した曲です。
前半は切ない音で丁寧に始まり、後半に入ると打って変わって力強いシーンが続きます。
その後、嵐が去ったかのように穏やかさが垣間見えるようになります。
「ピアノは好きだけど、ピアノ曲を聞くのは飽きやすくて苦手」という人も、淡々とこなしていく演奏に夢中になること間違いありません。

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「ピアノ協奏曲第1・2番」 バルトーク

マウリツィオ・ポリーニが唯一録音したバルトークの曲が、ピアノ協奏曲第1・2番です。
本人の中でも良かったと感じている曲で、グラミー賞とグラモフォン賞を受賞しています。
さらに同じミラノ出身のアバド指揮のもと、シカゴ交響楽団と共演しています。
吹奏楽を経験していて他の楽器も聞きたい、ピアノだけでなく交響楽団も好きという人におすすめです。

「ハンマークラヴィーアソナタ」 ベートーヴェン

ハンマークラヴィーアソナタは、どんなに優れたピアニストでも指示通りのテンポでは弾けないと言われている難曲です。
それをマウリツィオ・ポリーニは、限りなく指示に近いテンポで弾いて見せました。
これは機械とも言われるほどの正確さを誇るマウリツィオ・ポリーニにしか成しえない、唯一無二の名盤です。
世間からは賛否両論あったそうですが、純粋に超越した技術を楽しみたい人におすすめです。

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マウリツィオ・ポリーニは、これからも語り継がれる!

マウリツィオ・ポリーニは、ピアノに対してとにかく愛情を持って向き合う人でした。
その結果は言わずもがな、たくさんの国際的な賞を受賞しています。

そんなマウリツィオ・ポリーニが残してきた、絶対聞きたい曲をおさらいしましょう。

  • 夜想曲集 ショパン
  • ピアノ協奏曲第1・2番 バルトーク
  • ハンマークラヴィーアソナタ ベートーヴェン

およそ79年のピアノ人生を振り返り、マウリツィオ・ポリーニの世界に浸ってみましょう。
若い頃は完全無欠の正確さを持ち、1990年以降は詩情も入ったより深い演奏になっています。
ぜひあなたの好みを見つけて、楽しんでください。

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